お祭茶・口切りを終えて
松親会 伊藤 公一
先日、11月2日に五島美術館の古経楼にて行われました鎮信公御祭茶に、茶堂と半東として参加させていただきました。御祭茶には幾度か参加させていただいたことはありましたが、常であればお茶を挽くお役目を仰せ使っておりました。しかし今回は茶堂と半東という大きなお役目をいただき、大変な緊張のなかでの参加となりました。  
お祭茶において茶堂は、床の棚に飾られていた茶壷を御宗家にお渡しして、茶壷、紐や布被いをご覧いただいたあと、その日のお挽きする葉茶をご指示いただき、茶壺を水屋まで下げ、石臼を構えてお待ちする男性門人に新茶を渡すことがまず大きな役割です。 また、挽きたての抹茶を入れた一文字棗を鎮信公の御像にお供えする役割、さらには献茶のお点前の際に、点てられた天目茶碗を半東として紙製の口覆い(マスク)を付けて拝受し、茶をお供えになる奥方様までお持ちする役割の、大きく三つを執り行ないます。
 
数ヶ月前に、今年のお祭茶で茶堂役を、とのお話をはじめて頂戴したときは、その責任の重さに正直とても不安で、ただ恐縮するばかりでした。せめて準備だけはしっかりと行い皆様にご迷惑をお掛けすることがないようにと、お祭茶の前週には永井先生のお宅に伺い、事前の予行練習をさせていただきました。 口覆いの作り方や当日の各準備から、茶壷を運ぶ手順、入り日記を御宗家にお渡しする手順までを手ほどきいただき、何度も繰り返して練習をするうちに、おぼろげながらも何となくのイメージが掴めて来たように思えましたが、それでもなかなかの緊張が当日まで続きました。さらに数日前には、急遽、海外から戻られた収様が献茶のお点前をなさることになりましたとお伺いし、この大事な機会に、自分などに茶堂の大役が果たして務まるのだろうかと、ますます不安でいっぱいでした。

当日は厳粛な雰囲気のなかで口切りの儀式がすすみ、入り日記の中から御宗家が選ばれた「星の初鷹」を男性門人が水屋で石臼で挽き抹茶にしました。その後、収様が挽きたての抹茶をお点てになり、天目台に載せられた献茶を、奥方様が鎮信公の御像にお供えいたしました。
茶堂としての自らの振る舞いは、いま思い返すと種々の反省点が浮かび恥ずかしいばかりではありましたが、精いっぱいお役目をと力不足ながら何とかお役目をおこないました。

当日献茶をなされた収様は、前日深夜までお仕事をされておられたとのことで、大変に複雑な(と私は感じている)真の台子のお点前について、直前まで手順や進行をご確認になられておりました。私も何か不測があれば半東としてお助けせねばと考えておりましたが、収様がご立派にお点てになられたので、私の出番も特になく、ほっといたしました。

献茶式のあとは床を改め、皆様で点心をいただき、薄茶をいただいて散会となりました。貴重な機会をいただけましたことに大変感謝の思いが募りました。自分の今後の茶道精進への気持ちを新たにいたしました。