お祭茶(口切)の茶堂を終えて
松親会 坂井俊彦
11月4日五島美術館において御宗家御夫妻および松親会門人が参加して鎮信公お祭茶(口切)が催され私は茶堂と半東をいたしました。
口切では茶壺の中の数種類の荒い茶葉(碾茶)を記した「御茶入日記」と茶壺をご宗家様にお運びした後、ご宗家様が選ばれた「星の初鷹」を水屋で男性陣が石臼で抹茶に挽きました。鎮信公への献茶では、その抹茶で御宗家様がお点前、奥方様がお供えされました。
石臼を使って碾茶をひくのは、お祭茶においては松親会男性の仕事です。石臼を回すのはかなり重く、また献茶と参加者約30人分の抹茶を時間に間に合うように引く必要があります。以前は慌てて臼を回す速度を上げて挽いたお茶を飲んだ時に細かな茶葉を感じるような失敗もありましたが、最近は時間内に上手に挽けるようになりました。
話は少し飛びますが、先日福岡八女の星野園を訪ねる機会があり、工場のなかで電動臼約50台が手引き石臼の倍の速さで動いていました。
御宗家からも荒い抹茶になるはずの速さは何故可能なのか聞いてくるようにと言われていましたので、お伺いしたところ「電動石臼では手引き石臼よりも目の数が多く切ってあるため速度を速くしても荒くならない」とのことでした。(手引き臼でも目を細かくすれば速く回すことが可能となるわけですが、その場合は摩擦が大きくなり臼が重く手で挽くのが大変になる)
口切に続いて五島美術館の名児耶副館長から現存する最古の古今集の写本「高野切(こうやぎれ)」についての話がありました。五島美術館は東急電鉄創業者の五島慶太の美術コレクションを保存していますが所有する高野切は松浦家が以前所有されており、御縁を感じるとのことでした。
その後、食事および口切のお茶が振る舞われ、最後に当日誕生日だった奥方様に花束が門人から贈呈されるサプライズもありました。