お祭茶の茶堂の役を賜りて
松親会 松田 壯吾
 平成28年11月5日(土)東京新宿柿傳残月の間にて、流祖鎮信公のお祭茶が執り行われました。
 茶道の各流派にとって、流祖の御命日の行事は最も大切なものとされています。流祖鎮信公の御命日の御祭茶は鎮信流にとりましても誠に意義深い儀式であります。鎮信流の各支部はこの時期にお祭茶を催し、男性は黒紋付、女性も紋付にて威儀を正し参列させて頂きます。
 また、流儀では、お祭茶を境に風炉から炉に替わります。
 松親会のお祭茶は、御宗家様御夫妻が出席され、ここ数年、お祭茶の献茶は御宗家様がお点前をされます。初釜の濃茶席にて御宗家様のお点前を拝する栄誉の機会がありますが、台子のお点前を拝し得ますのは恒例行事ではお祭茶のときです。平素、藤沢の御宗家様邸にて台子点前の御指導を頂いておりますが、御宗家様のお点前を間近にて拝し得ますことは、門人として格別の喜びでもあります。
 このたび、平成28年度松親会お祭茶の茶堂の役を仰せ付かりました。茶堂は御宗家様の傍にて羽織着衣にて扇を付けて坐しています。御宗家様が点てられた天目茶碗を紙製のマスクを付けて拝受し、御肖像の前卓に献茶する役目です。
 私が永井幸子支部長より本年度の茶堂のお話を頂きましたとき、荊妻はマスクは大丈夫か、天目茶碗は落とさないかと本気で心配していました。
 松親会お祭茶には御宗家様御夫妻他28名の門人が集うことができました。
 茶堂として、抹茶を鎮信公に献茶させて頂き、門人を代表して香を薫かせて頂き、御肖像を前に御拝の先導役をさせて頂きました。
 御肖像は、一揃いの鎧具足を背景に、僧帽を被られ払子を手にし、結跏趺坐を組まれ、身に袈裟を纏われています。御肖像のお軸を拝見し、鎮信公御著の茶湯由来記「文武は武家の二道にして、茶湯は文武両道の内の風流なり」の一節に思い当りました。
 献茶後は席を移しての柿傳の上質な半懐石です。松花堂の蓋が裏返されその上に箸が置かれて配膳されましたので、隣席の奥方様とこれはどういうことでしょうかとお話しておりましたら、向付が蓋に載せられました。古希間近にしても初めての体験はたとえ小さなことでも新鮮です。折角の料理にささが無いのは下戸の私としても些か淋しく感じました。飯後は一幸庵のあられ餅にて呈茶を門人一同服しました。
 流祖鎮信公が文禄16年(1703年)10月6日にお隠れになられてから314年の歳月が流れています。この間幾多の流儀の先達門人が鎮信公の御遺徳を偲び、感謝の内にお祀りをしてきたはずです。
 今回の茶堂役は私にとりまして大変栄誉なことでありました。300年を越える滔々たる流れの中に身を置くことが出来る幸せを感じ入ることができました晩秋の一日でした。
 また、お祭茶の献茶が真の台子の点前であることを再確認した、忘れてはならない日ともなりました。
 貴重な機会をお与え下さいました御宗家様、奥方様、そして松親会永井幸子支部長に深謝する次第であります。