鬼洋蝶

「お正月には凧あげて、コマを回して遊びましょう」と童謡にも歌われるように、凧あげはお正月の風物詩でした。
平戸には「おにようちょう」と呼ぶ凧があります。漢字では鬼洋蝶と書かれています。
凧の図柄は平安時代中期、松浦家第5代にあたる渡辺綱の鬼退治の様子を描いており、平戸の正月には欠かせない魔除け開運の民芸品でしたが、近年は中々見かけることが少なくなりました。
凧の後部には豪壮な唸りが出るように、弦を張っています。同じ様式の凧として、壱岐の「おんだこ」、五島の「バラモン凧」などがあります。
平戸松浦家の始祖は、嵯峨天皇十八皇子源融(みなもとのとおる)で、源氏物語の主人公光源氏のモデルと言われています。その子孫に当たるのが渡辺綱です。
綱は摂津源氏の源頼光に仕え、頼光四天王の筆頭として剛勇で知られます。大江山の酒呑童子退治や、京都の一条戻り橋の上で鬼の腕を源氏の名刀「髭切りの太刀」で切り落とした逸話で有名となりました。また謡曲『羅生門』は一条戻り橋の説話の舞台を羅城門に移しかえたものであります。ちなみに頼光四天王には、綱の他にあの金太郎といわれる坂田金時、碓井貞光、卜部季武の合計4人です。
その後綱の子授(さずく)が初めて肥前国奈古屋(現在の佐賀県鎮西町名護屋)に下向し九州との関係が生じます。その子泰(やすし)は北面の武士として後三条天皇に仕えましたが、泰の子、松浦家第8代久(ひさし)は延久元年、摂津国渡辺庄から肥前今福に下向土着し松浦(まつら)の姓を名乗ったとされています。その後松浦家は鎌倉、南北朝、室町、安土桃山、江戸と時の政情に相呼応し、領地安堵に意を注ぎ明治以降150年余、現代に続いています。

                           松浦史料博物館 岡山芳治