平戸独楽 |
近年、ほとんど見られなくなった独楽まわし、私たちの子供の頃(昭和40年代)には正月の遊びといえば凧揚げ、羽根付き、独楽まわしでした。独楽の回る姿から物事がうまく回ることを願い、独楽をぶつけあって競う様子から男の子のたくましい成長と、またまっすぐに芯が通っていることで、意志を貫くという意味が込められ、縁起の良い遊びといわれています。また正月と独楽の関係をとても象徴しているのが滝廉太郎作曲の『お正月』 「もういくつ寝るとお正月、お正月には凧揚げて、独楽を回して遊びましょう!」の歌詞は昭和の時代、誰もが口ずさんだことでしょう。
独楽まわしの歴史は古く、日本には中国より奈良時代に伝えられたと考えられています。一説では平戸に伝わったとの説もあるようですが定かではありません。当初貴族の間で広まり、江戸時代になると庶民の遊びとなったようです。
江戸時代後期、松浦家35代熈(ひろむ)公の時代に平戸城下職人町に住む家大工、土肥氏が副業として作り出したのが平戸独楽のはじまりといわれています。
平戸独楽の特徴は独楽の頭から根まで、全体を椿の木で作られていることです。またよくある独楽は根の部分に金属製の「ケン」が埋め込まれているのですが、そこも椿の木で一体化されているために、危険性もなく屋内の板の間でも自由に遊べたといわれています。型は主に5種類で「坊さんコマ」「普通コマ」「たまご型コマ」「くま型コマ」「茶わんコマ」があり、大きさは大小様々あったようです。
昭和49年『職人町少史』に平戸独楽職人のご子孫でありました土井キヌヱさんが次のように記されています。
「家の軒下には看板代わりの大きな独楽がぶら下げてありました。コマは戦前の素朴な子供たちには、何よりの玩具として好まれたものでした。学校がひけますと子供たちは、手に手に椿の木を持って、注文におしかけてきました。そうして順番をじっと待っていたのだといいます。平戸独楽の名は、地方まで広く知れ渡っていて、各地から拙家を訪ねてみえまして、独楽の製造方法等尋ねられ、轆轤(ロクロ)を譲ってくれないかと請われる人もありました。最近、近所の子供さんらが、平戸独楽をまわして遊んでいるのを見受けますが、近年は何処で何方が製造しておられるのでしょうか。それにしても平戸独楽として、今日なお現代っ子達に愛玩されているのは、大変うれしいことでございます。・・・・・・」
土肥さんが平戸独楽の由来を祖父母の口伝として幼い頃聞いた、ご主人の記憶を頼りに書き綴ったものです。
松浦史料博物館 岡山芳治
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