初夢の話
初夢に見ると縁起が良いとされるものに、“一富士二鷹三茄子”があります。この文句が一般に流布した江戸時代中期には、その由来につきすでに諸説あったようですが、平戸藩主松浦家34代清(静山公)の著書『甲子夜話』に、親しい間柄であった松平定信の話として語源についての記述がありますのでご紹介いたします。
*『甲子夜話』は副本274冊、内訳(目録9冊、正編100冊、続編94冊、三編70冊)写本278冊、内訳(正編100冊、続編100冊、三編78冊)が県の文化財に指定されています。(写本は目録の部はありませんが全冊揃いです) 著者の静山公は文武両道に秀でた名君として、天下に鳴り響き、学芸大名としても有名でした。儒者林述斎の勧めで、文政4年(1821)霜月甲子の夜から稿を起こし、天保12年(1841)に82歳で没するまで書き続け、278巻、約7000項目という膨大なものとなりました。
『甲子夜話』5巻‐5「奥津鯛 一富士二たか三茄子の事」
 駿河湾の甘鯛を生干しにしたものを「おきつ鯛」といい、静岡名品の一つ。今は「興津鯛」と書かれるので興津産だという人がいるが、それは誤りである。
 家康公が駿府城にいるとき、「おきつ」という奥女中が休み明けに実家より持参した甘鯛の生干しを献上した。これが特に家康公のお口に合い、面白がって「これを“おきつ鯛”と名付けよう」とおっしゃったことで有名になり、それ以来、この地では甘鯛の生干しを「おきつ鯛」と呼ぶようになったのである。このように、語源が間違って伝わっているものは意外に多い。
 楽翁(松平定信)の話では、
世間で『一富士、二鷹、三茄子』と言われているが、そもそもこれは家康公が駿府城にいらした際、初茄子の値が高いことを知り、それを言いたいために『まず一番高いのは富士の山、次は足高山でその次が初茄子だな』と言われたのが語源である。
世間では足高山を『タカ』と略して言っていたのを今では『鷹』と誤り、あげくの果てに『この三つは目出度い』などと絵に書いてもてはやすなどは、誤りにもほどがある」


松浦史料博物館
岡山芳治