松浦静山と大小(絵暦)

―大小賀歳旦―

現代は、明治5年から欧米で用いられていた太陽暦(グレゴリオ暦)を採用していますが、それ以前は太陰太陽暦(旧暦・陰暦)が用いられていました。
太陰太陽歴において、月には大小があり月の満ち欠けの周期(約29.5日)を元に大の月・小の月を決定しました。それは毎年変化するもので、特に閏月が入ると非常にわかりづらいものでした。そこで毎年暦(カレンダー)が制作されるのですが、この暦に、頓智を活かした挿絵の中に漢数字を巧みに配置し、俳句や狂歌などを織り込み摺物として交換し合う様になります。18世紀中頃からは、裕福な旗本の趣味人をはじめ町人層まで「大小交換会」として、爆発的に流行しました。
明治時代になると新暦が採用され、毎年大小の変化がないことから行われなくなり、この大小交換は「年賀状」という習慣に変化を遂げたといわれます。
 松浦史料博物館には1000点を超える大小が所蔵されていますが、これは全て松浦家第34代静山のコレクションです。静山は1775年(安永4)16歳の若さで平戸藩主になりますが、静山収集の貼込帳をみると12歳の時には既にコレクションを始めていることがわかります。後に静山が学芸大名として名を馳せる片鱗がうかがえます。  

【写真】オランダ人が描かれていますが、ボタンを見ると大きいもの、小さいものがあります。このボタンがそのまま閏月も含め13月の大小となっています。

文責 松浦史料博物館 岡山芳治


【写真】松浦静山収集の張込