姫路 龍門寺御献茶式・茶会
平戸支部松華会 森 三佐子
 山門の桜が笑うかのように咲きこぼれ陽光あふれる3月31日(土)、久しぶりに龍門寺での御献茶式・茶会に参加させていただきました。約320年前、元禄6(1693)年、鎮信公が江戸本所に天祥寺を建立なさいました時に、盤珪国師を招いて落慶法要をなさいました。その折に鎮信公が国師にお茶を点てて差し上げられ、参集の方々にも振る舞われました。以後、毎年行うことが決まっておりましたが、国師がお亡くなりになり催すことができませんでした。国師が亡くなられた時、鎮信公が龍門寺に使者をお遣わしになり、霊前にお茶をお供えし、参詣の方にも振る舞われたのが献茶会の始まりです。一時期途絶えましたが、1954(昭和29)年に再興されました。
 当日は、本堂で、御宗家様が盤珪国師と鎮信公への御献茶をなさいました。ご住職様方の読経の中、粛々とした御式でした。その後、奈良・西大寺の「大茶碗式」に倣っての、大ぶりの茶道具での薄茶席がありました。12人で一椀をいただきましたが、一人では持てずに両脇から助け合う光景もあり、思わず笑みのこぼれるお席でした。お菓子は、盤珪餅です。


 鎮信流は濃茶席で、「維新150年」をテーマとしたお席で、大きな転換の時代に、御公務の傍ら、平戸、引いては日本の次世代の教育、茶道の奨励に力を注がれた平戸松浦藩主松浦詮(心月)公ゆかりの軸、お道具でした。14才、15才でお書きになったお軸の力強さ、「強く美しく」の精神を表現するようなお花にお客様も「さすが御殿様のお席」と喜んでおられました。
 お菓子はカスドース、「平戸のお菓子ですね」とお客様も楽しみになさっているようでした。参加者はそれぞれ、担当の役目を果たせるよう動きました。東京支部、大阪支部の皆様の周到な事前準備により、滞りなく5席まで進みました。各支部の皆様とご一緒いたしますことで、新しい気付きや発見があり、反省や自己修正のきっかけとなることばかりです。この度は半東をさせていただきましたが、案内からお見送りまで水屋との連携を図りつつ、図っていることを気付かれないようにすることの難しさを痛感いたしました。
 1700年ごろに作成されました「東海道並びに船路図」(松浦史料博物館常設展示)には、平戸から江戸までの船での道中が描かれています。当時は、平戸をお発ちになられて長崎へ立ち寄られた後、北上して瀬戸内海にお入りになり、大坂(大阪)まで船の旅、大坂から江戸までは東海道を進まれました(全行程40日程度)。その図の中に「あぼし」の地名があります。平戸から10日ほどの旅路です。鎮信公と「生身の釈迦」と称された盤珪国師との深い結びつきが茶会につながり、平戸雄香寺開山へとつながってまいります。濃茶席には、昨年3月に松浦史料博物館主催のオランダ茶会にいらっしゃったお客様もお席に入られ、うれしい驚きの再会となりました。無為無策のご縁に導かれての来し方行く末を、龍門寺の静謐でありながら温かい空気の中でしみじみと感じた一日でした。